YuOkumura’s blog

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チクセントミハイとフロー

フロー(Flow)って言葉ありますよね。ゾーンとか、テニスの王子様でいう無我の境地などと呼ばれる言葉です。

 

以前、ランニングについて書いたのですが、私がランニングを好きな理由の1つに〝フローのような状態になるから〟というものがあります。いわゆる、ランナーズハイです。  

 

私の場合ですが、後頭部の毛穴がぶあっと開くような感覚と、周りの景色がやけにスローに鮮明に見えるような感覚があります。大抵、いったん疲れのピークが来てそこを我慢して走っていると、突然その状態に入ることが多いです。でもほんとにたまにしかその状態にはいらない!つらああぁ〜ってだけのこともしょっちゅうです。

 

そのほかには、単純作業ではあるけれど、突き詰めていくとどんどん速くなるような作業の中で私はフローを感じることがあります。

 

例えば永遠にサトウキビをナタで何トンも切り倒していくような仕事や、何10トンもの鮭の腹をさばいてイクラを出していくような仕事、ホタテの貝に開けられた小さなあなにひたすらピンを通してそれを何千個もやるような仕事などです。簡単に言ってしまえば、どの作業も決して難しくない単純作業を繰り返していくだけのものです。しかし、そういう仕事のときにこそフローに入る感覚を感じる機会が多いです。

 

単純な作業だからこそ、1分、1秒、コンマ何秒の動きに集中し、より速く、正確で、効率のよい動きを求めていきます。

 

1つの作業に0.5秒の違いがあったとしましょう。それを、1日で何千回、多いときは何万回と繰り返す作業では、1日でも、仕事の効率や、もらえるお金の量は全然違いますし、それを何ヶ月と続ける季節の仕事では、やり遂げたときの差は途方もないことになります。なので、効率を極限まで求めていく作業はフローの感覚をとても感じやすいのです。

 

幸福や創造性、楽しみの研究を行い、フローの概念を提唱したとされる、ミハイ・チクセントミハイというアメリカの心理学者がいます。ミハイは『フロー体験:喜びの現象学』(世界思想社、1996)という本のなかで、フロー体験の構成要素をいくつか挙げています。

・集中

・自己認識感覚の低下

・目標の設定

・活動への価値を見出すこと(強制させられている感覚をもたず、より洗練しようと努めることなど)

などです。

 

例えば、強制させられ、困難でもなく、魅力が少ないような仕事でも、他の人々が認識しなかったところに挑戦の機会を認識し、その能力を高め、当面する活動に注意を集中して、対象との相互作用に没入することで、フローが生じてくるようです。

 

この本には喜びや、幸せ、フローについてなど多くのことが書かれているのですが、結局は、日々の仕事や生活の一つ一つを新しい挑戦として捉え、その挑戦を学習の機会や、能力を高める機会として捉えることで、フローにもつながり、生活がより意味を持つようになるということを伝えたいのではないかと思いました。めっちゃ簡単に言ったら〝集中しろ!そして、楽しめ!!〟ってことですね。

 

私はこの本や、仕事、ランニングを通して、とにかくなんでも没頭して集中すること、そしてそれが楽しさや、自分の変化、成長につながることを学びました。どんなことでも必ずそこに楽しさや喜びを見出せるはずなのです。

 

ジョブズが仕事の前に鏡に向かって自身に問いかけていたことをよく思い出します。

 

「もし今日が人生最後の日だったら、僕は今からすることを“したい”と思うだろうか? その質問に対して、あまりにもノーが毎日続くようなら、それは何かを変えないといけない証拠だろう」

 

この言葉も要するに楽しめてるか?ってことですよね。

 

おわり