YuOkumura’s blog

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お遍路という文化、求道と祈りの道①

3年前の春、私は四国の徳島に降り立っていました。ハイパーライトマウテンギア社製のキューべンファイバーを用いた超ウルトラライトなバックパック(笑)に軽量テント、寝袋、スリーピングマット、コンロ、水、少量の着替えとカメラを詰め込み、ハーフパンツにアルトラ製のトレランシューズという出で立ちでした。目的は〝お遍路〟と呼ばれる、四国に点在する八十八ケ所のお寺を歩いて周ることでした。

 

古代から、都から遠くはなれた四国の地は辺地(へじ)と呼ばれ、平安時代頃には、修験者たちの修行の道でした。讃岐国香川県)に生まれた、若き日の弘法大師空海もその中の一人でした。空海はたびたび四国の地で修行をするなかで、八十八ケ所の寺院を選び、のちに四国八十八ケ所霊場を開創しました。その八十八ケ所の霊場(寺)を巡礼することをお遍路と呼ぶのです。

 

私は以前からお遍路という言葉をなんとなく知っていました。白衣に菅笠(すががさ)、金剛杖を持ち四国の荒地を毎日黙々と歩く人々の姿を頭のなかに思い描いていました。季節の仕事を始めて、お遍路を経験している人に何人か出会ったり、ミカンの収穫の仕事で毎年働いていた愛媛は、お遍路の本場であったし、一緒に働く農家のお父さんお母さんや、おじちゃんたちからよくお遍路の話を聞かされていました。そんなこともあって、昔から知っていたお遍路を身近に感じたわたしは、日本に今も残っているお遍路という文化を一度は体験してみたいと思い、用具を揃え、四国に降り立ったのでした。

 

四国に点在する八十八ケ所のお寺にはそれぞれ番号がついています。どこをどのように、どんな方法で周るかは人それぞれであり特に決まりはありません。歩いて周っても、自転車で周っても、車で周ってもいいのです。お遍路を周る方法として1番ポピュラーなのは、一番札所から順に八十八番札所までまわっていく、順打ちという方法です。逆に八十八番札所から一番札所に遡ってお参りしていく方法もあり、逆打ちと呼ばれます。道中にはお遍路用のさまざまな道案内があるのですが、一般的に、道には順打ちによる案内がしてあるので、逆打ちは道に迷うなどといった苦労が多く、より御利益が多いなどとも言われています。わたしは無難に順打ちを選びました。

 

一番札所最寄りの坂東駅に降り立った私は、そこから歩いて10分ほどの一番札所霊山寺へと向かいました。霊山寺へと近づくにつれ私が思い描いていた、白衣や笠を被った人々がちらほら見えるようになり、いよいよ始まるんだなという期待やドキドキと全て歩き通せるだろうかという不安を胸にお遍路はスタートしました。

 

お遍路ではお寺に着くと納札(おさめふだ)と呼ばれる紙に自分の名前を書き、箱に納め、納経帳に各お寺の御朱印をもらいます。実際、わたしは十六番札所まで、御朱印をもらっていましたが、御朱印をもらえる時間に制限(朝7時から夕方5時までしかもらえない)があることとで自分のペースでお寺を訪れることができないことと、1つの御朱印に300円かかること(88カ所周ると27000円近くかかる)がわずらわしくなり、スタンプラリー(笑)やってるんじゃないんだよ!と思い途中でやめてしまいました。

 

各お寺にはご本尊と呼ばれる様々な神様がまつられていて、各神様ごとに唱える言葉も違います。例えば祀られているが不動明王だとすると、その真言

 

なうまく   さんまんだ   ばざらだん   せんだ   まかろしゃだ   そわたや   うんたらた   かんまん

 

です。この真言、実際に唱えられるととってもかっこいいんです。たくさんある真言のなかで私は1番すきです。

 

真言の他にも細かく唱えることが決まっているのですが、私は全ては覚えることができなかったので、皆が普遍的に唱える般若心経を唱えるようにしていました。あとは手を合わせ、無事に歩いて来れたことへの感謝や、家族や友達の健康と平和を、各お寺で祈っていました。

 

旅は始まり、1日に約20km、多い日で30kmほど歩きました。四国の道のりを距離にすると徳島が約190km、高知が最も長く約400km、愛媛が約370km、最後の香川が約140km、合計すると約1100kmの道のりになります。私はこの道を約50日かけて周りました。日差しが強く暑い日や、土砂降りでびしょびしょの日もありましたが、高知の海岸線や、香川の田んぼ道を歩いている時の気持ち良さ、誰もいないめちゃめちゃ綺麗なビーチで昼寝したり、朝の新鮮な空気の中をやる気に満ち溢れて歩いたり、夕暮れの空の色が心に沁みたりしたことは振り返ってみるととても充実していて、ただ歩いているだけで心はいつも満たされていました。

 

最初にイメージしていたお遍路の道のりは、昔ながらの舗装されていない荒々しい道や山々が続くのかと思っていましたが、実際に歩いてみると、舗装されたコンクリート道や町中を歩くことが多かったです。山の山頂に建てられているお寺を訪れるときにはいわゆる山道を歩くのでした。

 

私はバックパックの中にテントと寝袋を持っていたので、全ての行程を野宿で過ごしました。四国の地は、お遍路をしている人々にとても寛容で、迷惑にならないような場所であれば、バス停の近くや公園、あずま屋などにテントを張っても何か言われることはほとんどありません。もし、声をかけられてもお遍路をしていることを伝えれば快く受け入れてくれます。日が暮れる時間になってくると、私はテントを張れる場所を探し、日没とともに眠り、日の出とともに起き、歩くという日々を過ごしていました。

 

つづく