YuOkumura’s blog

日々のこと。暮らしのこと。好きなこと。仕事のこと。写真のこと。

山に身を置く。今を生きる。

〝いま〟を今ほど感じられる、感じさせられる日々もそうそう無いことだと思う。

 

僕たちが日々楽しみにして過ごしてきた時間や日々は、暇つぶしの延長だったのではないかと思ってしまいそうだ。これだけ自由が制約され、外的刺激を受けられない、いま。しかし、今、僕たちはより深い内的探究と無限に広がる思想の宇宙を、両手両足を目一杯に広げて飛び回ることができる。

 

ただでさえ自分と直に向き合うことは気が向かない事が多いのに、いまの状況で自分を見つめ直しりするなんて、なおさら気が向かない。僕自身、生きていて気分が下がる事はなかなか無いが、この状況、鬱になる人の気持ちが分かる。気が抜けない。自分の世界の外にポジティブなニュースがほとんどない今、自分と向き合うことはすなわち〝不安〟と向き合うこと、不安を受け入れることだ。不安な自分を受け入れるのは怖い。できればブログなんか書かずに、YouTubeやインスタ、映画なんかを見ていれば現実を見なくて済むし、自分と向き合うことからも逃げられる。実際、自分の考えを一度まとめよう、まとめなきゃと思いながら、他の用事で後回し後回しにし、逃げた。

 

上手く書けないかもしれない、まとまらないかもしれない。でもとりあえず書き出してみた。書くことは僕の中で、頭で漠然と思っていることや、心や身体でなんとなく感じていることを具体化する作業。不安を具体化するには勇気がいる。不安を受け入れないといけないからだ。でも少し書き始めると意外となんとかなるものだ。文章の勢いに任せて書いてみよう。

 

何事もなかったあの頃の日常。ありがたみを感じるのはいつもそれがなくなったあとだ。怪我や病気をして初めて健康であることに感謝することと全く同じだ。忙しい、忙しいと言いながら出来ることはたくさんあった。美しい美しいと思いながらそれは本当に心から美しいと思っていたか?ご飯を食べる時の頂きます。いまなら心から言えるのではないか?漠然と日々を過ごしてはいなかったか?挑戦できることや、自由に動き回れる環境があれほどあったのに。稼ぐことばかり考えてなかったか?どう生きるかも考えずに。本当に大切なことってなんなのかな?いまが考える時だ。

 

人々が経済的な意味で動くことをやめ、肉体的な移動も制限され、イベントやお祭りも中止。家にただ籠っているだけでよい僕らはクソほどのんきだ。日々最前線で命をかけて闘っている人がいる。その人にも大切な家族がいる。自分勝手な行動なんてできない。ただただ我慢しよう。自分の大切な人を失う前に。

 

ただ、そんな僕らでもできる事がある。自分と向き合うことだ。外からの刺激はほとんど受けられないけれど、自分と向き合うことはいくらでもできる。内的な刺激だ。仕事の忙しさや、どうでもいいような用事で、僕らはいつも大切なことを蔑ろにしてしまっていた。生きるってことはまずは自分と向き合うことだ。幸せになりたいだの、健康でいたいだの、楽しく生きたいだの、それぞれの人にいろんな人生の価値観があるけれど、まずは自分だ。自分がどうありたいか、どう生きたいかだ。それを改めて考える時間が〝いま〟にはある。

 

不安や希望を全部ひっくるめてもう一度考えてみる。怖いけれど自分と向き合ってみる。考えろと地球に言われている。

 

実際、家族以外の人にほぼ会わず、コンビニにもスーパーにも行かず、外に出るといったら犬の散歩と畑に行く時だけだ。田舎だから人にはほぼ会わない。北海道から実家のある長野に帰ってきてそろそろ1ヶ月経つ。1ヶ月してようやく生活に慣れてきた。ブログを書こうと思えたのも1ヶ月という期間が、身体と心を今の状況に適応させてくれたからだ。怪我をしても、大体いつも1ヶ月という期間が回復への目安だ。時間はときに自分ではどうしようもないことを解決してくれる。

 

1ヶ月経って、制約された生活が続く中、明らかに感覚的な変化があった。意識が冴えている。視覚や、味覚、聴覚に変化がある。余計な情報が入らない分、五感で感じる事が多く豊かになった。心にも変化があった。風や太陽の熱、光、木、山、動物が安心を与えてくれる。自然が不安を包み込み、大丈夫だよと背中をさすってくれる。母なる地球。マジ卍。

 

瞬間瞬間の感覚や感情に意識をよりフォーカスできるようになっている。不安があるからこそ、天気の良い日の有り難さや、風の気持ち良さ、春に咲き誇る花の美しさをよりいっそう感じるのだと思う。雨の音さえ素晴らしい。

 

何不自由ない生活が続いていたら、頭では理解していても、感じることのできなかった身体的、精神的な感覚を感じることができるようになっている。生きるとは本来、生きるか死ぬかの不安を常に脇に抱えていることだ。死や不安がリアルだからこそ、生を美を感動をよりいっそう強く深く感じれる。

 

いまなら本当の感謝の気持ちがわかる。でも今だけではだめだ。世界が平和になっても今の気持ちを感じ続けなければ、また地球に考えろと言われてしまう。感じたことを風化させないためにも今の気持ちを記録に残した。書けてよかった。

 

いまを生きよう。

 

みんな頑張ろう。

 

おわり