YuOkumura’s blog

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修験道と祈り

季節労働(農業や漁業などの最盛期に農家さんなどに雇われて2〜3ヶ月働くような仕事)をしていると、たくさんの人との出会いがあります。農家さんに2〜3人単位で雇われる仕事から、20、30人で1つの寮に住みながら働く仕事など様々な仕事があるので、地元の人や全国から集まる様々な人と出会います。そんな出会いの中で特に印象的だったWくん、そして修験道の話をしたいと思います。

 

Wくんとの出会いはミカンの収穫の仕事で訪れた愛媛でのことでした。Wくんはいつも頭を綺麗に剃り、紺色の作務衣を着て、首から数珠をかけていました。彼はよく仕事が終わると浜辺に行き、夕日に向かってホラガイを吹いていました。その見た目や、年齢も私の4歳ほど上で歳も近いことから、最初からWくんにとても興味を持ちました。しかし、働いている農家さんや住んでいる家も違ったため、なかなか仲良くなるチャンスがありませんでした。

 

ミカンの仕事も後半になってきたある日、たまたま友達に誘われて、Wくんの住んでいる家に遊びに行くことになりました。家について部屋にあがったのですがそこにWくんはまだいませんでした。私たちが家についた時、彼は別の部屋で般若心経を唱えていました。Wくんには仕事が終わってから毎日必ず行うルーティーンがあり、それが終わると私たちと乾杯してくれました。

 

わたしはWくんに毎日作務衣を着ている理由や般若心経を唱える理由などさまざまなことを聞きました。そこでわたしが始めて出会った言葉が修験道(しゅけんどう)でした。

 

Wくんは普段は奈良県大峰山の麓にこもり修行をしていました。ミカンの時期だけ町に降りてきてお金を貯めて、それが終わるとまた山に戻るのだと教えてくれました。ミカンの仕事は3回目でこれが最後のミカンの仕事だということも教えてくれました。いままでは町に降りてくることもあったけれど、これからは本格的に山に篭るのでもう山から降りないという事を言っていました。

 

修験道とは、神仏習合の信仰であり山をご神体と考える山岳信仰です。神仏習合とは簡単に言うと同じ場所に神さまと仏さまをまつっているということです。今の日本では神社と寺ははっきりと別れていて、神様と仏様が同じ場所にまつられることはないので少し不思議な感じがしますが、もともと神社と寺は同じ場所に存在していました。それが江戸時代の後期や、明治になってから神仏分離令神仏習合の慣習を禁止し神道と仏教、神と仏、神社と寺をはっきり区別させる法令)が出され、神社と寺は区別されるようになりました。

 

Wくんのいる奈良の大峰山は、修験道の総本山と言われている場所です。日本には昔から霊山と呼ばれる山々があり、修験道の行者(修行をする人)は、山の中に入り、水行や山中を駆ける(千日回峰行が有名)などの修行をします。山自体を御神体して拝み、その御神体の中(山の中)に入って修行する事で、特別な力を得て、自他の救済を目指そうとするのです。石川県の白山や、富士山も代表的な日本の霊山です。

 

修験道の始まりは、飛鳥時代役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれる人物が開いたとされ、平安時代のころから盛んに信仰されるようになったようです。

 

明治時代に神仏分離令が出されたのは、王政復古や祭政一致(祭祀と政治が一体化していること、祭は宗教、政は政治を意味します)を実現するためです。神仏習合を禁止することで、宗教の力を弱め、政治と一体化させることで、国をより動かしやすくしたのです。また、明治5年には修験禁止令が出され、修験道は禁止されました。それほどまでに修験道が力を持ち、また山伏と呼ばれる行者が日本にはたくさんいたのです。しかし、禁止された後も山で宗教的な修行する者は絶えず、現在も修験道は残っています。

 

W君が大峰山に篭ったあと、何回か私も大峰山を訪れました。そこには本物の祈りがありました。1000日間続けて川に入り、般若心経を唱える水行や、厳しい山中を駆ける修行、洞窟の中で行う修行などを通してW君は毎日、世界の平和を祈っていました。

 

最後にWくんの言葉をのせようと思います。

 

大峰蛇之倉七尾山は、役行者弘法大師空海日蓮聖人など、歴代の聖者が最後の篭り行をされた場所です。

遥か古より魔境蛇之倉山と恐れられ、入山した者は二度と帰らず諸人の入山は禁止されていました。しかし、約70年前、第二次世界大戦後、地獄のような厳しい状況下に地球霊主の御霊示により始めて諸人の入山が許されました。

ここには真の祈りがあります。世のため、家族のため、仲間のため、御先祖様のため、水子様のため、そしてなによりも自分のために祈りたいと思ったら何も考えず魂のままにこの御山に御参りください。

 

世界が平和でありますように。万物万霊が幸せでありますように。

 

おわり